『プラヤー・マーン・ナワ・ラーチャ・セーウィー卿談話録』より |
− 西暦1920年前後におけるタイ民商法典編纂方針の転換をめぐって − |
【覚え書き】 本資料は、タマサート大学社会法学教育科、法哲学科、法制史学科(当時)の共催によって実施されたプラヤー・マーン・ナワ・ラーチャ・セーウィー侯爵とのインタビューを、録音テープからタイプ印刷に起こしたものである(タマサート大学法学部サンヤー教授記念図書館所蔵)。原題は以下の通り: |
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序文の日付は、仏暦2525年(西暦1982年)2月20日となっている。インタビューは、仏暦2523年(西暦1980年)9月12日、同年12月10日、仏暦2524年(西暦1981年)6月16日の3回にわたって行われている。 本資料末尾の付録資料(『談話録』58頁)によると、プラヤー・マーン・ナワ・ラーチャ・セーウィー侯爵(実名:プロート・ウィチャーン・ナ・ソンクラー)は、仏暦2433年(西暦1890年)9月18日にソンクラー県で生まれた。卿の履歴は以下の通り: |
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その後の経歴については記述がなく、没年も訳者には不明であるが、衆議院議長、枢密院議員などを歴任しているようである。 インタビューが行われたのが1980年から81年にかけてであるから、卿はその時点で既に90歳の高齢に達している。こうした理由から、タイの民法研究者の間には、その発言の信憑性に疑念を抱く向きもあるという。この点に関しては、確かに判断の仕様がないが、録音から起こされた文章を読む限りでは、「老齢による意識の混濁」などを感じさせるところは全くない。むしろ、悪い言葉であるが「老獪」とも言えるほどの明晰さを示している。とはいえ、事は録音当時から数えて60年も過去の出来事である。卿にとって印象深い場面が殊更にクローズアップされ、単純化されていることは十分に考えられる。それぞれの出来事が正確に何年に起きたのか、あるいは場面の前後関係がどうであったのか、不明瞭であることもある。しかし、卿の語る内容が「作り話」であるかもしれないなどと疑うことは、全く根拠のないことであると信じる。いずれにせよ、そうした議論のあることを念頭において、引用とコメントをお読みいただきたい。 |
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