民法の判例から

ケース(13):大阪アルカリ事件
【事実関係】

 これは大正5年(1916年)の事件である。被告である会社Yは、化学肥料の製造ならびに銅の精錬を行っていたが、その作業で使用する硫酸 (sulfuric acid; H2SO4) や亜硫酸 (sulfurous acid; H2SO3) のガスが工場の煙突から大気中に排出されていた。このため、工場の周辺にある農地が汚染されて、農産物に著しい被害が生じるようになった。このため、周辺の住民たちXが会社Yを不法行為で訴え、「被害を受けた農産物を販売することができたら、得たであろう売上価格が逸失利益である」と主張して、その賠償を請求した。

 第一審で会社Yは、「亜硫酸ガスなどが工場から排出されないように、既に予防対策は講じてあるから、原因は他にあるはずだ」と主張して、自分には責任がないと反論した。これに対して裁判所は、工場から排出されたガスと農産物の被害との間に因果関係を認めた。そして過失責任については、「会社Yの取締役は、亜硫酸ガスなどが工場から排出されていて、周辺の農産物だけでなく、住民や家畜にも被害が生じる危険があることを十分に承知していた。そのような危険を知りながら、工場の操業を続けたのだから、会社Yには過失責任がある」と認定し、「予防対策を講じたかどうかとは関係なく、実際に損害が生じたのだから、その損害に対する責任は免れない」と判断した。そして、会社Yに損害の賠償を命じた。

 そこで会社Yは控訴したが、控訴審裁判所も第一審の判断を支持した。このため、会社Yは上告した。


【判旨】

 当時の最高裁判所である大審院は、控訴審判決を「十分に審理していない」と批判して、事件を控訴審裁判所に差し戻した。大審院はその理由を次のように説明した:「会社Yに過失責任があるかどうかを判断するためには、会社Yが損害の危険を予見することができたかどうかを調べるだけでは不十分である。それに加えて、会社Yが可能な限り最善の防止対策を講じていたかどうかも調べなければならない。損害を予見できた場合でも、もし最善の対策を講じていたときは、たとえ結果的に損害が生じたとしても、それに対する責任は会社Yにはないと判断すべきである」。

 この判決によって最高裁判所は、不法行為における「過失」の意味を定義した。つまり、加害の予見可能性があっただけでは過失は立証されず、それに加えて、損害を予防する可能性があったこと、それにもかかわらず、その予防対策を講じなかったことが立証されたとき、被告の過失責任が認められる。一言で言えば「結果回避義務の違反」が過失の意味であると定義されたのである。


【関連条文】

(不法行為)⇄ มาตรา ๔๒๐, ๔๒๒

民法第709条; 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。


มาตรา ๔๒๐

ผู้ใดจงใจหรือประมาทเลินเล่อ ทำต่อบุคคลอื่นโดยผิดกฎหมายให้เขาเสียหายถึงแก่ชีวิตก็ดี แก่ร่างกายก็ดี อนามัยก็ดี เสรีภาพก็ดี ทรัพย์สินหรือสิทธิอย่างหนึ่งอย่างใดก็ดี ท่านว่าผู้นั้นทำละเมิด จำต้องใช้ค่าสินไหมทดแทนเพื่อการนั้น

มาตรา ๔๒๒

ถ้าความเสียหายเกิดแต่การฝ่าฝืนบทบังคับแห่งกฎหมายใดอันมีที่ประสงค์เพื่อจะปกป้องบุคคลอื่นๆ ผู้ใดทำการฝ่าฝืนเช่นนั้น ท่านให้สันนิษฐานไว้ก่อนว่าผู้นั้นเป็นผู้ผิด


【解説】

 この判例は、今から100年ほど前の大正時代のものである。この時代、民法の理解には、まだ確立していなかった点が数多くあった。不法行為における「過失」の意味もその一つであった。これについては、2つの考え方が対立していた。一つの見解は、ある行為をすれば、他人に損害が生じることを知っていた(「予測していた」)にもかかわらず、その行為をした場合、またはそのことを当然知ることができたはずなのに、知らずにその行為をして他人に損害を加えてしまった場合に、「過失があった」と考える。これに対して他方の見解は、「加害者が損害の発生を知っていた」または「知り得たはずだった」ことを証明しただけでは、「過失」を立証したことにはならない、と考える。なぜなら、たとえ加害者が損害の発生を予測できても、それを防止できたとは限らないからである。損害を予測しても、それを防止できない場合もある。したがって「損害を予測できたかどうか」だけではなく、予測した上で「その損害を防止するために、できる限りのことをしたかどうか」という点も考慮しなければならないと、この見解は主張する。そして、「損害を防止するために、できることがあったにもかかわらず、加害者がそれをしなかった」ことを被害者が証明できたときに、初めて加害者の「過失」が立証されると、この見解は考える。

 さて、この2つの考え方を比べて、どちらが加害者にとって厳しいだろうか。損害の発生を予測する義務だけでなく、その損害を予防する対策を実施することを要求する考え方の方が厳しいように見える。しかし本当はその逆である。なぜなら、損害の発生を予測していても、「できる限りの対策は実施したから、自分には過失はない」と被告は抗弁することができるからである。

 本件「大阪アルカリ事件」で、大審院は「最善の予防対策を講じていれば、たとえ結果的に損害が生じても、過失責任はない」と説明して、「結果回避義務の違反」が過失の意味であると判断した。しかし、こうした最高裁判所の理解は、その後の判例で批判されることになった。特に1970年代の公害裁判では、「最善の予防対策を講じても、結果的に損害が生じる危険を予測できた場合には、工場の操業自体を停止すべきであった」と考えるようになった。その場合、加害企業には「操業を停止する義務」があり、もし操業を続ければ、加害企業には「操業停止義務違反」という過失があると判断するようになった。

 更に裁判所は、後の「薬害スモン事件」でもっと厳しい判断を示した。この事件の加害者は大規模な製薬会社である。そこで、「もしその製品に問題があったら、極めて多数の人々が被害を受ける結果となるため、その社会的な責任は重大だ」と裁判所は考えた。そして、製薬会社に損害の発生を予測する可能性がわずかにあっただけで「会社に過失があった」と裁判所は判断した。つまり、「損害の発生を少しでも予測できたら、会社はその薬品の製造を直ちに中止するべきだった」と裁判所は考えて、極めて高度な注意義務を製薬会社に課したのである。

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