△ 環境汚染(公害問題)

 別の例を考えてみましょう。ある会社の工場が汚い廃水を川に流したために、環境汚染が生じ、その川で水浴びをしたり、魚を採って食べた人たちが病気になった場合はどうでしょうか。初めは、なぜ病気になったのか、被害者の人々にも原因が分からないので、「未知の伝染病やウイルス感染症かもしれない」と思うかもしれません。しかし、被害者がその川の近くで生活している人々に限られるということに気がついたとき、その病気と川との関係を疑うようになります。そして「もしかしたら、これは『天災』ではなく、『人災』かもしれない」と考えるようになります。人災の場合、誰かの行為が原因で被害が生じたのですから、その被害は「権利の侵害」となり、原因となった行為は「不法行為」となります。つまり「違法性」の認識が初めの一歩です。その次に「誰の、どのような行為が、どのような仕組みで被害者に損害を及ぼしたか」ということが問題になります。つまり「因果関係」です。そして加害者が特定できたとき、今度は次のことが問題となります。それは「その加害者が損害の発生を認識していたのかどうか、そして認識していた場合に、なぜ損害を防止できなかったのか」という点です。つまり「過失」です。1950年代から60年代にかけて、本当にこのような事件が起きました。

♦ 水俣病(Youtube 1, Youtube 2, 水俣問題の概要(衆議院)

 それは「水俣病」と呼ばれる病気である。熊本県と新潟県で、1万7000人以上の人々が被害を受けたと言われている。そのうち、2,265名が国から公式に「水俣病患者」と認定され、その1,517名が水俣病のために死亡している(2004年3月31日現在)。それは1953年ごろに始まった。水俣湾に面した漁村で海鳥が飛べなくなったり、魚が死んで海に浮いたりした。1954年には100匹ほどいた村の猫が狂ったように踊り始め、死んでしまった。その後、中枢神経に障害を起こして手足を自由に動かせなくなった人々が水俣市の病院に来るようになった。

 ところで、水俣市には新日本窒素肥料株式会社(現在の「チッソ株式会社」)の水俣工場があり、その工場には付属病院があった。1956年、この附属病院の院長が「原因不明の脳の病気が水俣市で拡がっている」と初めて水俣市に報告した。水俣市はすぐに「水俣奇病対策委員会」を組織して調査したところ、54名の患者が確認され、そのうち17名は既に死亡していた。この委員会は初め「未知の伝染病かもしれない」と考えたが、熊本大学にさらに詳しい調査研究を依頼した。熊本大学はただちに「水俣病医学研究班」を組織して現地を調査し、「本疾患は伝染病(Infectious disease)ではなく、『重金属による中毒(heavy-metal poisoning)』と考えられ、重金属に汚染された水俣湾の魚介類を摂取したことによって人体に入り、中毒を発症したものと考えられる」という報告を公表した。しかし、その原因物質を特定することができず、マンガン(manganese; Mn)、セレン(selenium; Se)、タリウム(thallium: Tl)などが考えられていた。1957年、水俣市保健所が水俣湾の魚介類を猫に食べさせる実験を行って、水俣病と同じ症状を発症することを確認した。このことにより、水俣湾の魚介類の汚染が原因であることが明確となったため、熊本県は厚生省に対して水俣湾の魚介類の捕獲と販売を規制するよう要請したが、厚生省は「原因物質が特定されていない」という理由でそれを拒否した。このため、水俣病の被害者は、さらに増加してしまった。さらに1958年9月、チッソ水俣工場は、その生産量を増強して、工場廃水を水俣湾に流す排水路の方向を変更した。その結果、汚染された廃水がこれまでより広い範囲に流れるようになり、水俣病の被害が天草市や鹿児島県にまで拡がってしまった。

 1958年3月、イギリスの神経学者が水俣市を訪れて水俣病の患者を診察し、「有機水銀中毒の症状と極めて類似している」と報告した。このため熊本大学研究班が水俣湾の魚介類や土壌、患者の頭髪などを検査したところ、高濃度の有機水銀を検出した。そこで研究班は1959年7月、「水俣病の原因物質が有機水銀である可能性は極めて高い」と正式に発表した。問題は、その有機水銀がどこから水俣湾に流入しているのか、という点であった。その一つの可能性がチッソ水俣工場の廃水であった。そのころチッソ水俣工場では、水銀(mercury; Mg)を触媒(catalyst)として使い、アセチレン(acetylen; C2H2)からアセトアルデヒド(acetaldehyde; C2H4O)を生産していたが、その製造工程で発生した廃水を水俣湾に流していたのである。

 このようにして、チッソ水俣工場の廃水に含まれる水銀が水俣病の原因物質である疑いが非常に強くなった。これに対してチッソは、「アセトアルデヒドの生産工程で確かに水銀が使用されていて、その一部が廃水に混じって水俣湾に流出しているかもしれない。しかしそれは『無機水銀(inorganic mercury)』であって『有機水銀(organic mercury)』ではない。また、アセチアルデヒドの生産工程で有機水銀が生成される可能性も科学的に証明されていない。したがって、水俣湾に流出した無機水銀が有機水銀に変化する機序が科学的に証明されない限り、チッソ水俣工場の廃水が水俣病の原因であると主張することは許されない。むしろ水俣湾の周辺地域で使用されている有機水銀農薬の方が問題である」と反論した。熊本大学研究班は、しかし、水俣湾に流出した無機水銀が自然界の中で有機化する可能性を証明することができなかった。

 ところでチッソ水俣工場の付属病院では、1957年以来、ずっと猫を使った実験が続けられていた。1959年7月からは、アセトアルデヒドの生産工程で出る廃水を餌に混ぜて猫に食べさせる実験を始めていた。3ヶ月後の1959年10月、その猫が水俣病を発症したのである。つまり、アセトアルデヒドの生産工程で有機水銀が本当に生成されていたのである。しかしチッソはこの実験結果を秘匿し、附属病院で行われてた猫の実験も禁止してしまった。1959年12月、水俣湾の漁民から強く要請されたために、チッソは工場の排水路に浄化設備を設置した。そして「工場の廃水は、完全に浄化された」と公表したが、実際にはその浄化設備には水銀を除去する能力は全く無かった。このため、チッソ水俣工場は有機水銀で汚染された廃水を、そうと知りつつ、水俣湾に流し続けたのである。

 1962年8月、熊本大学の研究者が「アセトアルデヒドの製造工程で生じた廃棄物の中からメチル水銀(methyl mercury; (CH3)2Hg )を抽出した」と発表した。メチル水銀は有機水銀の一種である。この研究によって、チッソ水俣工場の製造工程で、無機水銀が有機化していることが証明された。そして1963年2月、熊本大学研究班が「チッソ水俣工場の廃棄物と水俣湾の魚介類の双方から、メチル水銀を抽出した」と発表し、チッソ水俣工場の廃水中に含まれるメチル水銀が水俣病の原因物質であることが明らかとなった。しかし日本政府は、1968年までこの認識を受け入れようとはせず、水俣湾の汚染と水俣病の拡大がなおも続いたのである。

♦ 新潟水俣病

 ちょうどそのころ、今度は新潟県の阿賀野川流域で、水俣病と類似した中枢神経の障害が発生するようになった。1965年、東京大学の研究者が患者を診察して「有機水銀中毒の疑いがある」と報告した。それを受けて、新潟大学の研究者が患者の頭髪を検査したところ、高濃度の有機水銀が検出された。そのため、新潟県が「新潟県有機水銀中毒研究本部」を設置し、厚生省も特別研究班を組織して、その原因の調査を開始した。1966年3月、厚生省の特別研究班は「昭和電工鹿瀬工場が阿賀野川に排出している工場廃水が原因である」という調査報告を提出した。この工場もまた、チッソ水俣工場と同じく、アセチレンからアセトアルデヒドを製造していたのである。しかし、通産省が「証拠が不十分だ」と言って異議を唱えたため、政府は何の対策も採らなかった。それでも特別研究班は調査を続けて、1967年4月に「阿賀野川上流で操業している昭和電工鹿瀬工場の廃水が新潟水俣病の原因である」という報告を再び厚生省に提出した。これに対して昭和電工は「阿賀野川流域の農家が使用している有機水銀農薬が本当の原因だ」と反論し、横浜国立大学や東京工業大学の研究者らが昭和電工の主張を支持する声明を発表したりした。

 このように、日本政府は熊本水俣病、新潟水俣病の原因について結論を出さぬまま、ずるずると時間を浪費していったが、チッソは1966年以降、アセトアルデヒドの生産を漸次停止し、1968年5月には、その全てを停止した。同年9月、日本政府は「チッソ水俣工場および昭和電工鹿瀬工場の廃水が有機水銀中毒の原因であった」という結論を公式に認め、水俣病の因果関係に関する論争は、水俣病の公式確認から12年を経て、やっと決着することとなった。

♦ 「過失」の立証

 以上が、水俣病の因果関係をめぐる論争の経緯でした。もう一つの重要な争点が「過失」でした。加害者であるチッソ株式会社も昭和電工も、アセトアルデヒドの生産を開始した当時、その生産工程で有機水銀が生成されて流出する危険について何も認識がありませんでした。それは確かですが、このことだけで加害者の過失責任が否定されるのでしょうか。しかも、1959年10月には、猫の実験でチッソ水俣工場の廃水が水俣病を引き起こすことを確認していました。このような簡単な実験で工場廃水の危険性を確認できたのですから、そのような実験で安全性の確認をせずに、工場の操業を続けていたことは、注意義務を著しく疎かにする行為であったと考えることができます。しかもチッソはこの実験結果を公表せず、「工場の廃水には有機水銀は含まれていない」と主張し続けました。つまり、チッソは廃水の危険性を認識しつつ流し続けたのですから、その責任はすでに「過失」を超えて「故意」のレベルに至ります。こうした事実はしかし、内部通報者(insider informant)・告発者(whistleblower)の協力がなければ、被害者など外部の者には知ることのできないことです。このように、企業のような閉鎖的な組織の過失責任を証明することには、大きな困難が伴います。

♦ 因果関係(損害賠償の範囲)

 こうした公害問題には、もう一つ大きな争点があります。それは被害者の認定問題です。水俣病の場合、1万7000人以上の人々が被害を受けたと主張していますが、実際に国や裁判所から「水俣病患者」と認定された人は2,265名に過ぎません。現在でも多くの人々が「水俣病患者」としての認定を請求して裁判で争っています。この認定を受けなければ、損害賠償を受けることができないからです。これは、もう一つの因果関係(損害賠償の範囲)の問題です。公害問題のように、被害が広範囲に渡る場合、この問題は深刻な争点となります。

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